労働基準法が生まれるまでの物語を知っておこうか
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労働基準法の今だけを捉えてしまいがち
労働基準法って今の時代に合ってないとか、改善すべき点が多いとかむちゃくちゃ言われがちです。
「なんでそんなことしないといけないの?」と社員にクレームを言われても、「いや労基法に書いてあるんやけど」と労務担当者なら思ったことはあるでしょう。
なぜそんな状況になってるんだろう?
今現在の労基法の文章だけを捉えていると制度の作り込みが足りないんでしょうか?とか、不安に思ってしまいます。
だけど歴史をちゃんと理解すると、今現在も進化の過程にある労基法について応援したくなります。そして本質的には私たち労務担当者が今後も進化をさせなければならないものでもあります。
今日は、労基法が成立するまでの激動の時代についてお話ししたいと思います。
かつて労基法の基礎を作った伝説のチームがいた
労働基準法が制定されるまでに幾多の困難を乗り越え、その成立に向けて活躍した伝説のチームがあります。明治前期の1881年に結成したチームです。
その名をご存知でしょうか?
その名も「農商務省」。
おそらくこの名前を知っている方は非常に少ないかと思います。
労働基準法における革命的チームです。
農商務省とは?
彼らは農業や商業に関する政策を管轄する国家行政機関で、諸外国の労役法や工場条例といった諸制度、国内における職工や工場に関する状況について調査を行なっていきます。
いかに労働者が、過酷な労働条件・環境によって健康を害して亡くなっているかについても調査してます。日本初めて労働者の健康被害調査をした政府の人たち。
農商務省は労働者の状況について調査を行い、その調査結果を元に、若年層の労働者を保護・育成するために、職工条例及び職工徒弟条例というルールの草案を作っています。
そのルールでは、それまでにない革新的な内容が含まれていました。
・ 年少者の就業制限
・工場主に対して義務教育未修了者や非免除者を通学させる義務
・16歳未満の徒弟への読書、習字、算術の教授義務
しかし当時、年少者は貴重な労働力であり、企業側からは「有害で無益なルールだ!」と猛反発が出ました。よって政府側もこのルールを実行するには至りませんでした。1887年のことでした。
日本列島最初の労働組合は速攻で潰された
その後、1894年に日清戦争がおきます。
この戦争をきっかけとして軍事工業をはじめとする諸工業が発展し、同時に工場労働者の数も飛躍的に増加したんですね。
そしてあまりの需要に工場労働者が辛い労働を強いられていたので、労働者側が反発して1897年7月5日に労働組合期成会というのを組織します。
日本で最初の労働組合として、労働者の地位向上を目指したのですが、わずか4年で解散となります。
理由は使用者側から反発です。ここでもまだ使用者の地位が圧倒的に上で、財政的に全く逆らうことができないかったんですね。
36時間連続勤務が適法だった時代があった
その後もなんども工場で働く、特に若い年少者の保護を強化する法案が出されるのですが、使用者・財政界からの反発、タイミング悪く戦争が起こってそれどころじゃないという事態を繰り返し、なかなか法整備は進まなかったそうです。
農商務省チームが調査した当時のデータによると、国内における工場のうち半数以上が繊維工場で、労働者も半数は繊維工場での労働に従事していました。
繊維工場の労働者の男女比は男子が13.1%、女子が86.9%で、16歳未満の男子と女子の数は、10人以上が働く工場の総労働者数の70%にも登るということです。
そして、その子供たちが過酷な工場労働によって結核に侵されていたという社会情勢があったそうです。
例えば下記のような働き方が適法状態だったわけです。
・勤務は昼夜交代の二部制で、夜の部はいわゆる徹夜業務
・もちろん年少者や女性も業務に従事
・徹夜業務は体にもきつく、欠勤者が相次ぐ
・欠勤者の穴埋めのため昼の部を終えた女子職工らは居残りを命じられる
・居残りの女子職工は翌朝までの24時間、立ち仕事をさせられる
・さらにはそのまま翌日の昼業務に従事させられ36時間に及ぶことも普通
・もちろん残業による割増賃金はない
・もちろん労働時間の制限はない
・もちろん休日を与える義務もない
・労働者は働けなくなるまで働き、消耗品として扱われた
労働基準界の夜明け、伝説の1911年
そして1911年です。
この年はちょうど日露戦争が終わって、日本が勝利したタイミングです。 この時は日本もさらに発展を続けていて、製造業も重工業がメインにシフトしています。
その重工業では、熟練した職人が重要な役割を担っていて、今まで比べると年少者や女性労働者が担うポジション自体の重要性が少し下がってきたタイミングなんですね。
なので、労働者保護に今まで反発してきた大企業側は譲歩をしてくれるようになったそうです。
ただし、重工業をやってる大企業はOK出しても、まだ重工業ができない中小企業からするとまだまだ年少者や女性労働者が就業制限食らうとやばいよ!というところが多かったんですね。
結局どうなったかというと1911年に「工場法」という労働基準法の前身となる法律が成立しました。
肝心の工場法の内容ですが下記のようなものでした。
・12歳未満の就業を禁止
・15歳未満と女性は保護職工として、労働時間の上限は12時間 ・6時間を超えるときは30分、10時間を超えるときは1時間の休憩
・休日は毎月2回
・保護職工は22時から翌朝4時までの深夜業禁止
・産後4週間以内の女子の就業も禁止
・常時50人以上使用の工場における就業規則作成・届出義務
今の労働基準法から考えると、ツッコミどころが満載の保護内容ですが、日本の歴史上で初めて労働時間に関する上限などを定めた革新的な内容と言えます。
ちなみ年少者と女子労働者の保護に限定されているので、そのほかの社員たちはゴリゴリに働き、保護を受けられない制度ではあります。
そして残念ながら、うまく機能しなかったと言われています。
適用対象
原則として「常時15人以上の職工を使用するもの」及び「事業の性質危険なるもの又は衛生上有害の虞あるもの」 など一定規模以上で、重工業等に限定して適用されています。
適用除外規定
適用を必要としない工場は勅令で除外することができるとされていたので、小規模工場には適用されず、また、現実には多くの工場が適用除外とされた
工場法は確かに作られました。しかし、適用されない企業も多く、存在感は薄かったみたいです。
また「深夜業禁止」の条文については、企業側から猛反発が出たため、制定から15年間適用しないというエクスキューズ付きの法律として成立したのです。
今の労働基準法を知る我々からすると、 どれだけ働かせたいんだよという感じです。
ちなみにこの工場法は最初に原案ができてから、30年をかけてようやく成立に至っています。実際に施工するまでさらに5年くらいかかっているので、企業側の反発が凄まじかったことがわかります。その間、約35年間、労働条件には何一つ基準はなく、労働者は保護されてこなかったと言えます。
結局工場法というのは、労働者の権利を保障するものではなく、使用者が労働者に対して絶対的な上から慈悲を与える「慈悲の規則」であったと評されています。
国の視点から見ても「産業の発達」と「国防」という面が強調されており、今の労基法のような「労働者の保護」を目指した法というより、人的資源としての「労働力の保護」という思想の下に制定されたものだったんですね。
とはいえ、年少者や女子労働者に対する就業規制が日本史上初めて成立した点で大きな前進ではありますね。
極端にいうと1日24時間働かせていいのは、15歳からですよ!というルールなんですね。
今から考えるととんでもないルールですが、当時はこれでも企業側から猛反発を受けて30年かけて勝ち取った法令なのですね。すごい
戦時中は工場法は機能を失う
しかし時代は残酷なもので、戦争が苛烈さを増している1943年には、工場法戦時特例というルールによって国の判断で、年少者・女子労働者を保護する規定は適用しないことになり、もはや工場法は機能を失うことになります。これは敗戦する1945年までのルールですね。
そして時は1947年終戦後の日本に移り変わります。
ここでついに現在の労働基準法が成立するんですね〜
戦後に生まれた労働基準法の革新性
この1947年の日本がどういう時かというと、第2次世界大戦で敗戦し、GHQに戦後統治をされている真っ只中です。 まずGHQより指導を受けて1946年に日本国憲法を公布しています。
この日本国憲法が労働基準法を制定する根拠となっています。
第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
第27条の具体的なルールを整備するための一つとして労働基準法が作られています。
ついに労働基準法が出来上がったのですが、このルールの何が革新的だったかというと、
・年齢問わず全ての労働者の労働時間に上限ができた
・業業種問わず、全ての企業が法令を遵守する必要がある
・残業させたら割増を払う
今でこそ当たり前の労働者の権利ですが、歴史を振り返るとまるで奇跡のような条件に見えてきますね。
労働基準法が今の時代に合ってないという意見を否定する気は全くありません。
でも、考えられないほど多くの人の死や苦労の上に、今の労働基準法が出来上がっていることがわかりました。
労務担当者はかつての農商務省になる
労働基準法はその後も、少しづつ労働者保護の色を強めています。最近では
・有給5日取得義務
・残業上限規制
などにより労働者がもっと健康に業務を行えるようなルールになっています。
もちろん、まだ改善すべき点・現実に沿わない部分など感じることはあるかもしれません。
ただし、まだそのルールができてから73年です。
そして、73年前には、労働者の保護は不十分で、過酷な労働が強いられていたということ。
これからの労働基準法は、テクノロジーの進化・働き方の変化に伴ってさらなる改善を進めていくでしょう。
そのためにも、労務担当者はかつての農商務省チームと同じく、現場の働き方を把握して、あるべき姿・実態を発信していくことで、労基法が正しい道を歩む手助けをすべきかもしれません。
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